スタッフブログ

門前仲町のおすすめ情報をお伝えいたします。

2014/10/18

隅田川テラスの旅~両国橋から国技館へPart1

最近ここ東京ではさわやかな秋晴れが続いておりますが、皆様の地域では如何でございますか?

先日は爽やかで気持ちのよい気候でございましたので、久しぶりに「隅田川テラスの旅」に出てみました。(^〇^) 前回は竪川にかかっている二之橋近辺を散策しておりまして、池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」にでてきた場所などを数か所巡っておりました。

隅田川テラスの旅第8弾

隅田川沿いを上流に向かい「両国橋」をめざしていたのですが、「竪川水門」が気になり竪川上流に向かって少し寄り道をしてしまったのですが、今回は隅田川テラスに戻り「両国橋」とその近辺を散策いたしました。 両国と言えば大相撲ですよね~★ この散策では「両国橋」を越え少し歩いて国技館方面へも足をむけましたので、当ホテルに宿泊しながら大相撲観戦に行かれる方は参考になさっていただければ幸いです。

両国橋全景.jpg

                             (両国橋)

隅田川の上流をめざし墨田区沿いを歩いていくと、「両国橋」が見えてまいりました。

両国橋の歴史を調べてみたのですが、1657年(明暦3年)の明暦の大火によってこの地に橋がなかった為、多くの犠牲者が出たためこの両国橋が架橋されることになったそうです。そしてその後、橋の周辺が江戸三大広小路の一つとなり、見世物小屋や、芝居小屋が立ち並ぶ賑わいのある場所へと発展していきました。

両国橋の東岸は墨田区両国一丁目、西岸は中央区東日本橋二丁目になっていて、橋の丸いオブジェが印象的です。

表忠碑.jpg 日の恩やたちまちくだく厚水句碑.jpg

         (表忠碑)         (日の恩やたちまちくだく厚氷の句碑)

隅田川テラスを一旦出て東詰所の方へ行くと、なにやら石碑が沢山見えて参りました。

「表忠碑」は日露戦争の戦没者に忠義を示すために設立された碑で、芥川龍之介の作品にもでてきます。

「日の恩やたちまちくだく厚氷」という長~い句碑は、前回のブログで永代橋近くにあった「赤穂浪士休息の地」の石碑の時にお届けいたしました忠臣蔵の赤穂浪士の大高源吾が、俳句の師匠の宝井其角と両国橋で出会い、討ち入りの夜に詠んだ句です。

百本杭説明.jpg

これらの石碑の右横には、「両国橋と百本杭」の説明がありました。昭和初期に水路が整備される前3つの川が合流していた為、両国橋近辺は流れが急で上流から流れが強くあたる橋の北側には流れを和らげる為沢山の杭をうちこんでいたと書かれてあり、川岸の浸食を防いでいました。その無数の杭は「百本杭」と呼ばれるようになったそうです。 「百本杭」は昔の両国橋の風物詩だったそうです。

柳橋.jpg

両国橋を越え隅田川を墨田区沿いに上流に向かうと、対岸に「柳橋」が見えてまいりました。

「柳橋」は神田川の最も下流に架けられている橋です。

そしてしばらく歩いて行くと、隅田川の歩道に設置された手すりに何かがはめ込まれているのを発見!!

よ~く見ると、土地柄手すりも両国モードなのでしょうか? 手すりにはめ込まれたかなりの数の相撲の決まり手のオブジェがずら~っと続いておりました★

かたすかし.jpg

おおわたし.jpg

 

              (かたすかし)                      (おおわたし)

むこうつき.jpg そとがけ.jpg        (むこうつき)                    (そとがけ)

日本相撲協会が定めた大相撲の決まり手は80以上あるとのことですが、この手すりにはどれぐらいのオブジェがとりつけられているのかわかりませんが、とりあえず気になったものを無作為にカメラにおさめてみました★ 個人的によくわからないものもありますが、こういったものを見るだけで両国に来たという実感がわいてきます。総武線鉄橋.jpg

さらに上流に足を向けると、総武線の鉄橋が見えてまいりました★

 

隅田川テラス両国方面案内.jpg

竪川より⇒のように隅田川沿いを散策してまいりましたが、この地点から国技館までの話題はPart2でお届けいたします(^~^)

当ホテルをご利用の際は是非両国で大相撲観戦など如何でございますか?

国技館のある両国までは都営地下鉄大江戸線門前仲町駅より3駅目という好アクセスでございます!!

★皆様からのご予約をスタッフ一同心よりお待ち申し上げております★

↓↓↓

御予約はこちらからお願い致します

                          本日のBLOGGER: umechan-manでございました(^〇^)

2014/10/04

深川散策~永代橋から清澄白河へ

10月に突入いたしましたがここ東京では急に暑くなることもあり気温の変化が激しいですね(*~*)皆様の地域では如何でございますか?

さて、以前は永代橋を江東区側に渡り切った地点から当ホテルに向かい永代通りを散策しておりましたが、今回は同じ地点から北へ清澄白河方面に向かって散策をいたしました。 江東区には歴史的に有名な方々が沢山暮らしていましたので、そういった住居跡や歴史的なスポットが目白押しです。今回もそういったスポットを探しに歩き始めました>>>>>

赤穂浪士休息の地碑.jpg

                      (赤穂浪士休息の地碑)

歩き始めて少しすると右手に「赤穂赤穂浪士休息の地」という石碑が見えてまいりました★

元禄15年(1702年)12月15日に赤穂浪士一行が本所松坂町の吉良邸討ち入りの後、以前このブログでもお届けした竪川にかかる一ッ目橋 を通り、この佐賀町で休息をとりました。

その時、乳熊(ちくま)屋味噌店で甘酒の接待を受けた後、永代橋を渡り泉岳寺に向かったそうです。それを記念して昭和38年にちくま味噌によってこの地にこの石碑が建立されました。かつてこの場所にはちくま味噌の工場があったそうですが、現在が長野に移転しているとのことです。

ちくま味噌初代の竹口作兵赤穂四十七士の一人大高源吾宝井其角の門下としての俳句仲間だったそうです。しかし源吾は江戸で脇屋新兵衛を名乗っていたので、竹内作兵はこの日まで赤穂四十七士に源吾がいることを知らなかったというのも興味深いエピソードではありますが・・・・・

「赤穂浪士休息の地」

江東区佐賀1-6-2

上之橋跡.jpg

                  (上之橋跡)

そのまま北へ足を進めて行くと、なにやら橋の親柱のようなものが見えてまいりました★

パッとまわりを見渡すと、道を挟んで4箇所にこの親柱がありました。

この「上之橋(かみのはし)」は江戸時代から仙台堀の佐賀町河岸通りにかかっていた橋で、池上正太郎著などの時代小説に良く登場していまして、上之橋の100メートル南には中之橋がそしてその南には下之橋があったそうです。

昭和5年(1930年)には震災復興事業により架設されたそうですが、昭和59年(1984年)には清澄排水機場建設に伴い撤去されました。4本の親柱から、仙台堀の運河が埋め立てられたため橋が撤去されたのだとすぐにわかり昔にあった橋のなごりを感じました。

「上之橋跡」

江東区佐賀2-1

平賀源内電気実験の地碑.jpg

           (平賀源内電気実験の地石碑)

そこから少し歩いていくと右手にふと目をやると「平賀源内電気実験の地」という石碑

が目に飛び込んできました。平賀源内と言えば江戸時代電気学者として有名で、かつて地上波でやっていた時代劇にそのモデルがたびたび登場していましたよね。ここ清澄町には源内の自宅があった場所で、ここで電気実験を行っていたことなどからこの石碑が建てられました。

源内は安永5年(1776年)に日本で最初のエレキテル(摩擦起電機)を完成させています。

平賀源内電気実験の地石碑」

江東区清澄1-2

      

    陸奥宗光宅跡1.jpg 陸奥宗光宅跡2.jpg

 

そして左手には「清洲橋」が見えてきました。

「清洲橋」は「永代橋」同様、深川八幡祭りの神輿の渡御のルートにもなっています。前回は永代橋でその模様を見させていただきましたので、次回はこの地点から渡御を見たいと思います。

「清洲橋」を左に観ながら清洲橋通りを渡り右手に折れると、江東区登録史跡「陸奥宗光宅跡」という案内板がありました。

宗光は明治時代の外交官、政治家で明治5年から明治10年までここ深川清澄町で過ごされたと書かれてありました。

江東区登録史跡

「陸奥宗光宅跡」

江東区清澄1-5

清澄庭園案内図.jpg

★江東区は史跡の宝庫でございます★

永代橋から陸奥宗光宅跡まで約20分の散策でこんなにも沢山の史跡に出会えて大感激です(^〇^)

上の地図に示したように、佐賀町河岸通り⇒清洲橋通り⇒清澄通りを歩きながら清澄庭園まで移動しました★

深川芭蕉庵散歩.jpgのサムネール画像

                (深川芭蕉庵散歩)

そして清澄庭園の前に到着すると、「深川芭蕉庵散歩」という案内板を発見!!

案内板には芭蕉ゆかりの地と右側に葛飾北斎の富嶽三十六景の「深川萬年橋下」の錦絵が紹介されています。江戸時代小名木川にかかっていた萬年橋は橋脚が高いのが特徴的で、当時は富士山の見える名所でした。(橋の下に富士山が描かれているのがおわかりになると思います)

この案内板に刺激を受け、もう一度松尾芭蕉のゆかりの地をめぐってみたくなりました。

清澄白河駅までは都営地下鉄大江戸線の門前仲町駅から1駅でございます。そこから清澄通りや清澄公園界隈の散策など如何でございますか?もっと沢山の歴史的スポットに出会えるかも知れません。

                           本日のBLOGGER: umechan-manでございました。

2014/07/09

*木場公園~東京都現代美術館*

こんにちは^^

明日明後日は台風の心配もありますが皆様元気にお過ごしでしょうか?

昨年の夏に、木場公園のブログを書きたいといってから

1年ほどたってしまったので、そろそろ・・・と思い遊びにいってきました^^

木場公園は散歩したりジョギングするだけでも楽しめますが、

今回は木場公園の中にある東京都現代美術館

ふるーちぇ(ブログに過去1回登場。次回ブログも近日公開予定◎)と行ってきました★

門前仲町からは、東京都現代美術館へ直接行けるバス(約10分で到着)があります♪

が、今回は私が平日と休日の時刻表を間違えたので木場駅から歩くことに!

木場駅を出るとすぐに公園だと分かる緑が見つかりますので、

そちらに歩いていくと入口に到着します♪

木場公園入口.jpg

美術館は公園の中にあるのですが、木場公園はやたらと広いので、

木場駅側の入り口から美術館までは10分くらい歩きます。

以下道のりの写真集です^^

 木場公園犬.jpg

珍しい犬がたくさん散歩していましたが、もっふもふの大きい犬があまりにもかわいくて

写真撮らせて頂きました!どらえもん!

木場公園森.jpg

木場公園噴水.jpg

割と炎天下の中歩くこと15分(ちょっと迷子になりました)

入口を発見◎

木場公園美術館見えた.jpg

1995年に開館したとのことですが建物はとってもきれいです♪

木場公園全体.jpg

この日やっていたのは「宇宙×芸術-コスモロジーを超えて」という展覧会でしたが

とってもきれいでした!あまり芸術分からない2人で行ってしまいましたが

すごく楽しかったです><♪

ふるーちぇは木場公園に来たのは初めてだったそうですが

「すごい!きれい!」とやたらと絶賛しておりました。

テニスコートやバスケットゴールなどもあったので運動したい方も利用できますよ^^

美術館の中にはミュージアムショップや図書館、カフェもあるので

美術館を鑑賞しない方でも楽しめます♪

お時間ある方は是非足を運んでみてください^^

◆東京都現代美術館公式HPはこちらから◆

当ホテルでは夏のお得なプランや女性のお客様限定のプランなど

さまざまなプランをHPにてご用意しております★

皆様のご予約、お待ちしております!

東急ステイ門前仲町へのご予約はこちらから(^^)

本日のブログ:Yamachan-man

2014/06/29

永代通り散策~永代橋から富岡八幡宮へ

最近は梅雨前線が停滞し始め本格的な梅雨空が戻ってまいりましたね★雨が降ったりやんだりで憂鬱な日々が続いておりますが、皆様お身体に気を付け元気でお過ごしくださいませ(^_^)

さて、お客様から当ホテル周辺近辺の場所など尋ねられた時、決まって一つのランドマークとして利用させていただいておりますのが永代通りでございます。当ホテルの近辺ではその通り沿いに多数の飲食店やお土産屋さんなどが軒を連ねお客さまに常にご案内している通りでもあります。

永代通りは西は大手町から東は東陽町まで伸びていまして、その下を東京メトロ東西線が並行しております。

今回はこの通りを永代橋を渡りきった江東区側から富岡八幡宮まで通り沿いに散策してみました。途中で目的地がわからなくなったり、寄り道したりして「散策」というよりも「徘徊」(^^;)という感じになってしまったのですが、今まで知らなかったいろいろな素晴らしい発見がありました(^^)のでお付き合いのほど宜しくお願いいたします。

日本国重要文化財碑.jpg 永代橋由来.jpg

永代橋りは、一年前ぐらいに中央大橋から上流に向けて「隅田川テラスの旅」というシリーズでお伝え致しましたが、隅田川テラスシリーズ第1弾 、この永代通りは素通りみたいな感じで通りすぎて上流に進んでしまいましたので、今回はもっと詳しく江東区側の【永代橋】近辺を散策してみました★

永代橋の江東区側には「日本国重要文化財の碑」(写真左上)「永代橋由来碑」(写真右上)がございます。永代橋は2007年(平成19年)国の重要文化財に指定されました。

永代橋では、毎年恒例の「深川八幡祭り」で大神輿の渡御のルートになっており、神輿の担ぎ手と観客など沢山の人で埋め尽くされます。今年もそのお祭りがやってまいります~★ すごい迫力ですので、機会がございましたら永代橋の上で是非お祭りに参加されて見られては如何ですか?(^_^)

永代橋江東区から下流.jpg 永代橋手摺.jpg

江東区側から隅田川テラスに降り、前回は素通りだったので今回は永代橋付近をぶらぶら散策しました。 

少し上流に向かって歩いてゆくと、手摺に永代橋の形のものが埋め込まれていました(写真右)(^_^) そういった手摺がしばらく続いているのも(写真左)今まで全然知りませんでした。

上流に向いふと右を見ると防波堤に何やら立派な碑がありました♪(写真下)

これは「永代橋の碑」、右は「永代橋の歴史」について書かれたものと左は「浮世絵の透かし彫り」になります。

永代橋の碑.jpg

永代橋の歴史でございますが、元禄11年(1698年)に幕府の命により今の場所より上流の方に木の橋がかけられました。その後現在の場所に明治30年(1897年)に日本初の鉄の橋であるトラス橋がかけられ、橋には市電も走っていそうです。しかし橋底が木製だった為関東大震災で大破。大正15年(1926年)に震災復興の事業として現在の橋がかけられました。

碑の左手の素晴らしい浮世絵の透かし彫りにしばらくの間見入ってしまったのですが、この絵に関して右にはこういったことが書かれてありました。

↓↓

「東岸永代島から下流をとらえたのが左の絵である。船の停泊するのは佃島。橋の上の人々を見おろすようにはるか品川御殿山も描かれる」と書かれていました。

隅田川テラスには橋の近くにその橋に関連した巨大な錦絵のプリントや石碑などがたくさんあるので、そういったものを無料で鑑賞できるのが嬉しいです★

永代橋隅田川大橋から1.jpgのサムネール画像

永代橋隅田川大橋から2.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像

隅田川に夜の帳が降り、薄暗くなってまいりました♪

以前も紹介させていただいたのですが、永代橋から上流へ向かって一つ目の橋である「隅田川大橋」にたどりつきました。

「隅田川大橋」って首都高速9号深川線という高速度路が上を通っていて、その下を歩行できる橋があるのかと思っていたのですが、対岸の中央区に続く橋がしっかりありました。(少し感動です!!)

以前永代橋の夜景を紹介していたので今回は紹介を避けよう思っていたのですが、隅田川大橋からの夜景は★IT IS SO SPECUTACULAR!!~★ということで、しっかり今回も紹介させていただきました(^_^)特に写真左上のように、青くライトアップされた 永代橋から屋形船がこちらに迫ってくる様子は、なんとも言えないほど幻想的でございました~★★★

この隅田川大橋から下流の永代橋(特にライトアップされた夜景)を写真におさめるのには一押しスポットなのですが、上流の清州橋with後ろの東京スカイツリーを写真におさめるには残念ながら上の高速道路が邪魔して上の部分がきれいにおさまらないかも知れません。

そして、この隅田川大橋を中央区に向かって歩いていくと約10分ぐらいで空港へのリムジンバス発着ターミナルである通称箱崎で通じてしまう東京エアシティターミナル(T-CAT)がございます。きれいな夜景を堪能しながら調子にのってあてもなく箱崎まで行ってしまったばっかりに、疲労で江東区側に帰るのを断念!!

と言うわけで、この日は一時的に永代通り散策を中断いたしました。

佐久間東山砲術塾跡.jpg

渋沢栄一宅跡.jpg

日を改めて永代橋から永代通りを当ホテルがある方へ向かうと、 江東区登録史跡が2つ並んで見えてまいりました★

歴史的に有名な佐久間象山と渋沢栄一に関するもののようです。

「佐久間象山砲術塾跡」(写真左上)

ここ永代1-14付近は佐久間象山が砲術塾を開校した信濃国(長野)松代藩下屋敷があった場所です。象山は幕末の思想家としても有名で、この地では1850年7月から12月まで諸藩の藩士らに砲術を教えていて、なんと歴史的にも有名な坂本龍馬や勝海舟にも砲術を教えていました。

「渋沢栄一宅跡」(写真右上)

そしてここ永代2-37付近は明治6年(1873年)に幕臣から実業家に転身した実業界の指揮者と呼ばれた渋沢栄一の本邸があった場所です。 明治9年(1876年)から明治21年(1888年)までここを本邸として使用し、その後中央区に移った後もこちらは別邸として使用していました。

明治22年(1889年)から明治37年(1904年)まで深川区会議員、区会議長を務め、深川の発展に努めただけではなく、明治30年(1897年)にはこの地に渋沢倉庫を設立したことでも知られています。

歴史的に有名な方々がこんなにも近くほぼお隣同士に住んでいたなんて少し驚きです。お二人が顔を合わせることってあったのだろうか?とふと思ってしまいました★

永代通り看板.jpg

永代通りを進んでゆくと、清澄通りが交差している交差点がございます★

この清澄通りを右へ進んで行くと、門前仲町のお隣の清澄白河になります。この清澄通りも永代通り同様に散策してみたいと思っております。

ジョナサン門前仲町.jpg

この交差点からまっすぐ進んでまいりますと、通りの右側にファミリーレストラン「ジョナサン門前仲町店」(写真上)が見えてまいります。このレストランは当ホテルの朝食会場にもなっておりますので、こちらを参照していただければと思います。

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朝食会場変更のお知らせ

朝食をご希望のお客様は当社ウエブサイトのプランから朝食付きプランをお選びくださいませ。

皆様からの御予約ご来店を心よりお待ち申し上げております。

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東急ステイ門前仲町

永代通り散策はまだ続行しておりまして、当ホテル近辺の楽しく為になる話題を皆様に提供できるようにしてまいりますので、今後ともこのブログにおつきあいくだされば幸いです★

    

                         

                       本日のBLOGGER: umechan-manでございました(^_^) 

2014/06/15

隅田川テラスの旅~一之橋から「鬼平」を訪ねて

しばらく前までは初夏の爽やかな気候だと思っておりましたら、いきなり暑くなりその後いきなり梅雨に突入してしまいましたね~(><) じめじめとしたいやな時期がやってまいりましたが、皆様お身体に気を付け元気にお過ごしくださいませ★★\(^^)/

さて、今回は久しぶりに「隅田川テラスの旅」シリーズをお届けしたいと思いますが、前回は隅田川テラスを両国橋の手前で少し抜け出し、竪川から上流の方へ向かい「一之橋」近辺を散策しておりました。

隅田川テラスシリーズ第7弾

今回はその「一之橋」からさらに竪川の上流の方へ向かいました★★★

そういえば、この竪川の両岸には江戸時代に竹問屋が多く、いたるところに竹置場があり「竹河岸」と呼ばれていたそうです。良くそういった情景を錦絵などで観ることができます。

「一之橋」から竪川沿いに上流に向かって歩いて行くと、「塩原橋」「千歳橋」が竪川にかけられていて、その後の「二之橋」がかけられている通りにやってまいりました。

この通りこそ「清澄通りでして、ここから「二之橋」を通って南下していくと、当ホテルがある門前仲町に到着いたします(^o^ )

五鉄1.jpg 五鉄3.jpg

二之橋の手前にさしかかると角地に何やら立て看板を発見(写真左上)★★

立て看板のタイトルは、「鬼平情景」~軍鶏なべ屋「五鉄」とあります。

ここは、池波正太郎著の時代小説「鬼平犯科帳」に出てくる小説上の軍鶏鍋屋「五鉄」があった場所です。

「二ツ目橋の角地で南側は竪川」ということなので、まさにこの辺が小説上の場所にあたるようです。TV時代劇の「鬼平犯科帳」シリーズでは、おなじみの「鬼平」こと火付盗賊改方長官の長谷川平蔵が密偵たちとの繋ぎに使っていたお店で、情報交換をしながら軍鶏鍋を一緒につついていました~。

ところで、この「五鉄」って、池波正太郎著の「剣客商売」シリーズでも登場しています。しかし、長谷川平蔵と秋山小兵衛が会うことはなかったのですが・・・・

吉良邸の討ち入り.jpg

そして「二之橋」の方へ行くと、橋の手前には今度は大きな立て看板がど~んと目に飛び込んできました(^@^)

この近辺には元禄15年(1702年)12月14日に赤穂浪士が討ち入りを果たした「吉良邸」があります。いわば「忠臣蔵」で有名な赤穂事件です。

そういった内容のことがこの中に詳しく書かれていましたので、思わず見入ってしまいました。

 

二之橋.jpg

二之橋看板.jpg

そしてやっと「二之橋」の欄干へ到達いたしました~(^O^)

「二之橋」は緑一丁目と千歳三丁目を結ぶ橋で、長さ18メートル、幅5.4メートルで一之橋よりもコンパクトな橋です。

そしてこちらにも「江戸の町」~二之橋という立て看板を発見いたしました。(写真右上)

看板には当時の二之橋の様子が描かれていて、船舶の運航を妨げない為でしょうか?以前このブログでも紹介した「高橋(たかばし)」や「萬年橋」のように橋脚が高い橋だったようです。

また、「鬼平犯科帳」にも「二ツ目橋」として登場していまして、小説上長谷川平蔵が軍鶏鍋屋「五鉄」や、弥勒寺前にある茶屋笹屋の昔なじみの女将のお熊婆さんに会いに行くときに良く利用していた橋です。

それでは、笹屋のお熊婆さんの話題が出たところで「弥勒寺」にGO~

弥勒寺.jpg

二之橋を渡りきり、清澄通りをさらに南下して5つ目の路地を左に折れると荘厳な弥勒寺が目に飛び込んできました~★★★

真言宗豊山派の寺院でして、慶長15年(1610年)小石川に創建され、元禄2年(1689年)現在の位置に移りました。そしてこちらには前回このブログでも紹介いたしました、江戸時代、針灸術の総検校になった杉山和一のお墓もあります。

そしてこの寺の前がお熊婆さんの茶屋「笹屋」があった小説上の場所になります。

TV時代劇の「鬼平犯科帳」シリーズでは「笹屋のお熊」や「寒月六間堀」などでこの弥勒寺が頻繁にでてきておりました。TV時代劇シリーズって最近地上波ではあまりやらなくなったような感じですが、ケーブルで「水戸黄門」、「大岡越前」「江戸を斬る」といった時代劇の王道を行くものやそうでないものも再放送で観ておりまして、「鬼平犯科帳」「剣客商売」は再放送の頻度がかなり高いため、暇さえあれば毎日のように同じものを繰り返し観ております。何と言っても最後に絶対に悪が滅びるところがいいですよね~(^^)

あまりにも真剣に時代劇を観すぎて、頭の中が常に時代劇モードになっていて、日常生活でも「この紋所が目にはいらぬか!」とか「この桜吹雪、散らせるものなら散らしてみあがれ・・・」とか「ひと~つ 人の世・・・ふた~つ 不埒な悪行三昧・・・・」とか時代劇の決めゼリフがいつも頭を駆け巡っているのが怖いのですが・・・・・・・・(^^;)

五間堀跡.jpg

弥勒寺から少し南下すると、五間堀、六間堀という小名木川とを結んでいた水路があったそうです~★

一間が約1.8メートルなので五間で9メートル、六間で11メートルの運河でした。

この運河は2つあわせるとYのような形をしていたそうで、昭和11年(1936年)と昭和30年(1955年)に2回にわたってどちらも完全に埋め立てられ、現在は公園になっていました。

五間堀公園:

東京都江東区森下2-30-7

都営大江戸線森下駅のA5出口からすぐです。

ここからさらに清澄通りを南下すると、森下→清澄白河→門前仲町になります。

清澄通りの清澄白河には、昨年このブログで紹介させていただいた江戸時代富士が見える名所だった小名木川にかけられている「高橋(たかばし)」がありますので、こちらもチェックしてみてくださいネ(^O^)

↓↓↓

高橋(たかばし)の富士とのらくロード

このまま清澄通りを南下し続けると、このシリーズがこれで終わってしまいますので(^^;)清澄通りを北へ戻り隅田川テラスの方に入っていき上流をめざしました。

隅田川テラスの旅はまだまだ続きます。

                         本日のBLOGGER: umechan-manでございました(^o^)