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2016.104

二子橋の戦い

 皆さん、こんにちは。

 今回は、近くを流れる多摩川に架かる、二子橋にまつわる話をしたいと思います。

 二子橋では、二つの戦いがあります。ひとつは、夏の花火。二子橋を挟んで、世田谷区と川崎市が同時開催するものです。川上が世田谷区、川下が川崎市で、花火の華やかさを競いあっています。

 もう一つは、用賀を走る電車、田園都市線の話で、実際には、大井町線と玉電の二子橋の奪い合いの話です。

 ① まずは、二子橋について

 皆さん、多摩川には、大正時代の終わりまで、橋がなかったんですよ。行き来する人は、二子の渡し、船に乗って、多摩川を渡っていました。そのおかげで、川の両サイドは、旅館とか食堂とかが発達して、賑やかだったらしいです。アユ料理のお店は多数あって有名でした。

 現在ある橋は、昔のままの広さで、実に狭い感じがします。その狭い橋に、電車(単線ですが)が通り、幹線道路の国道246号でもあり、生活道路として、大山街道でもあったわけです。驚きの混雑ぶりですよね。

 現在は、電車も専用の橋を持ち、246号も広い専用の橋を走るようになり、でも、それでも、自転車で二子橋を渡るときなどは、狭い、危ないと感じます。

 ② 玉電と大井町線の戦い

 橋ができて、まずは、玉電が溝口まで開通しました。もちろん玉電側が橋建設の費用の一部を請け負ったみたいです。

 路面電車で、小さめの車両で、単線ですから、使い勝手としては、まあまあですね。

 それが、戦争が絡んで、輸送力増強のためもあり、二子玉川園駅まで走っていた、普通の電車であった大井町線がその路線を乗っ取りました。(戦いという事で、言葉遣いは、お許し下さい。)

 以後、ずいぶんと大きめの電車の車両が二子橋を渡ることになります。私も子供の頃、利用してましたが、単線で、橋の上をゆっくりと、警笛を鳴らしながら走っていました。

 やがて、溝口より先、多摩の丘を東急が開発するにあたって、田園都市線を開通させ、大井町線と直通運転を始めます。実は、ある時期、大井町線の名は、、田園都市線と名称変更されていました。大井町線が、田園都市線に乗っ取られたわけですね。

 そして、電車は、二子橋から離れ、専用の橋を走るようになります。

 ③ 新玉線の登場

 玉電は、道路事情により廃止されていたのですが、後継者として、地下鉄の新玉線が建設されて、渋谷と二子玉川を走るようになりました。

 最初は、二子玉川駅で、折り返し運転をしていましたが、やがて、利便性から新玉線が田園都市線と直通運転を始めます。形としては、玉電が、この路線(二子橋)を取り返したわけです。

 ややこしい話ですが、大井町まで走っていた田園都市線を再び、二子玉川で分割して、二子玉川と大井町間を大井町線として復活させたわけです。 この時期、本来二子玉川で折り返し運転をする新玉線が内側を走っていたために、大井町線は本当に不便な形で、折り返し運転を強いられていました。

 大井町線は、色々な形で、玉電に負けていたわけです。

 ④ そして、現在。

 まず、路線の名称ですが、新玉線の名称はなくなり、田園都市線に統一されてます。

 溝口より先、田園都市線の沿線は、住宅地として発展をつづけます。当然、乗車する人々は増え続けて、電車は対応策として、10両編成にしました。話は別ですが、それに伴って、ホームが長くなり、それでなくても多摩川の上にせり出していた二子玉川の駅はほとんどが、川の上、状態になり、隣駅、二子新地駅とは、眼と鼻の先みたいな近くになってしまってます。

 それでも、混雑は増えつづけ、ついに、二子玉川駅と溝口駅間を複々線にしました。

 新しくできた、複々線の線路は、大井町線が乗り入れることになりました。そして華やかに急行電車まで登場しています。

 という事で、現在は、大井町線と田園都市線は、仲良く二子橋・・・専用の橋ですが・・・を、渡るようになりました。

 めでたし、めでたし。

 

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