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2014.0216

御門通り~銀座八丁目

銀座と新橋の間を走る高速道路八重洲線の下には、かつて汐留川が流れていました。新橋の名は汐留川に架かっていた橋のひとつで、銀座通りへとつながります。

この新橋の北詰に、1710年、城門が作られ芝口御門と呼ばれていました。しかし、わずか14年後に焼失し、再建もされず、残った石垣も撤去されたため名前だけが残りました。この高速道路横の通りが御門通りです。

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銀座八丁目には、かつて金春屋敷がありました。金春は、室町時代に発達した能楽の四宗家(金春観世、宝生、金剛)のひとつです。観世は銀座2丁目に、宝生は6丁目、金剛は京橋1丁目に各々、屋敷を拝領していたそうです。今も金春通りと名が残り、2丁目には観世通りもあります。金春屋敷が麹町へ移ってからは花街として発展していきます。

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銀座は丸の内と二箇所しか建設されなかった煉瓦街のひとつです。イギリス人の設計者トーマス.J. ウォートルスが明治5年から10年にかけて述べ1万メートル余の街をつくりました。ここで煉瓦遺構が発見され碑があります。8丁目ではありませんが煉瓦造二階建の洋風建築を記念する碑は1丁目にあります。

 

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           煉瓦遺構の碑                    煉瓦銀座の碑

汐留川には鉄橋も架かっていました。汐留駅は、わが国の鉄道開業の始発駅であった新橋駅でしたが、東京駅が中心駅になると、汐留駅として貨物駅になります。関東大震災後、築地に中央卸売市場が作られ、汐留駅と市場間は荷物運搬のため鉄道が敷かれたのです。その間、各地方の特産品が市場を、都民の台所を潤しました。その後、国鉄は廃止され鉄道もなくなりますが、その当時の栄光と記念をたたえ、有志により、踏切が永久保存されることとなりました。

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                    銀座に残された鉄道踏切信号機

高速道路の汐留側は、高層ビルが立並ぶビル群と化しています。今、面影が全く無い汐留川や御門通りに残された僅かな足跡に時代を感じずにはいられません。