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2013.1121

異国であった町

ここ明石町は江戸末期、安政の時代、外国と結んだ開国条約(日米修好通商条約)により、江戸には貿易で来日する外国人の居住地が長崎や神戸のように無かったため、作られた区・外国人居留地でした。

住居の他、学校、教会、領事館、公使館、病院と次々に建てられ、日本の中の異国のような雰囲気であったといわれています。そのため様々な新しい文化が広まっていきました。

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ヘンリーフォールズは英国人の医師、宣教師で布教の傍ら、築地病院を開き、診察にあたりました。

明治8年、ハリスによって麻布とは別に公使館がつくられました。公使館跡にあった小松石の記念碑は今も聖路加病院の中にあります。アメリカを象徴する彫刻で、星、白頭鷲、星条旗(13州)が残されています

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今は、この居留地跡には聖路加病院、看護大学、タワーが建っています。聖路加病院はこの居留地が明治32年の条約改正で廃止され、明治35年米国聖公会のトイスラー氏によって設立されました。

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当時、設立された学校はキリスト教系の他、今は場所こそ移っていますが有名な学校として発展しています。立教学院、立教女学院、青山学院、明治学院、そして慶応義塾などがあります。

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    当時の立教女学院の校舎(銅版画)             立教学院発祥の地の碑

初めてが多い明石町ですが最後に2つのエピソードを紹介します。

ひとつは蘭学事始の地でした。蘭学者、杉田玄白の『蘭学事始』よれば、この地に大分中津藩の江戸下屋敷があり、藩医で蘭学者であった前野良沢がオランダ語の洋書『ターヘル・アナトミア』を初めて翻訳し『解体新書』5巻を完成させたと記されています。

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                          蘭学事始の地の記念碑

もうひとつは、日本の誇る文豪の一人、芥川龍之介の生誕の地であります。

芥川龍之介は当時、明石町の牛乳店の長男として生まれましたが、母親の病気により、幼くして母方の実家、芥川家に引き取られ、母の死後、叔父の養子となります。生まれた年が明治25年3月1日で辰年であったため龍之介と名づけられたそうです。その後は大学で夏目漱石を師事し名作小説を誕生させていきます。

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                     芥川龍之介 生誕の地の案内板                                     

明石町はホテルから約10分です。聖路加病院、聖路加タワーが目印です。