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スタッフ日誌

神宮外苑の秋、いちょう並木ができた頃

2010/11/18おすすめ

いちょう祭りとともに開幕した明治神宮野球大会は、早稲田大学の優勝で幕。
今年は、明治神宮鎮座90年の記念の年。その記念大会で胴上げ投手となるのですから、
やはり、斎藤佑樹投手は、何か持っているとなるのでしょう。
神宮での想い入れの深い戦いとともに、外苑のいちょう並木も、かなり色づいてきました。
噴水池近くは、もうすっかり黄色くなってきました。

Nov2010d.JPG

秋深し、青山を揺るがせた大事件

1920年(大正9年)、明治神宮創建、その3年後に、神宮外苑いちょう並木が完成します。
当時、青山通りには、すでに都電が走っていましたが、青山といえば、青山霊園。
赤坂区青山南町(今の南青山)界隈は、野原ばかりで人家は少なく、万緑の樹木で囲われ、
笄川(こうがいがわ)周辺のことでしょうか、谷間には田と畑が広がっていたといいます。

そんな場所に、誰もが驚く、洋風のまさに威風堂々とした建築物がありました。
その名は、青山脳病院。(山形の斎藤茂吉記念館で、その壮観な姿を見ることができます。)
日本を代表する歌人、斎藤茂吉が後に院長となる精神科の病院。
斎藤茂吉の二男、北杜夫の小説、「楡家の人びと」に登場する病院といえば、わかる方もいるでしょう。

その青山脳病院で、いちょう並木完成の翌年(1924年)、大事件が起こります。
失火により全焼。305名の入院患者のうち、20名が死亡。
規模の大きな精神科の病院だっただけに、まさに大混乱だったのではないでしょうか。

その後、青山脳病院は、世田谷に移転しますが、焼け跡に分院は残ります。
そこに通っていたのが、芥川龍之介。
芥川龍之介の遺稿、「歯車」には、分院となった青山脳病科病院が登場します。
仕事場としていたホテル(帝国ホテル)から、タクシーで或精神病院へ向かうのですが、
青山通り、神宮前(今の表参道)まで来たものの、なぜかその日は、病院へ曲がる横道がわからない。
車を降り、ようやく見つけたぬかるみの多い道を曲がっていくと、いつか道を間違え、青山斎場の前へ出てしまう。
そこで、自分の人生も一段落のついたことを感じ、1927年、斎藤茂吉からもらった睡眠剤を大量に飲んで自殺する。
誰よりも衝撃を受けた人が、ここ青山にいました。

Nov2010c.JPG青山脳病院跡、今はマンションになっていますが、
斎藤茂吉の歌碑は残っています。

その先は、紅葉も見ごろな青山霊園。坂を下れば、青山斎場。
表参道から朦朧として歩いていた芥川龍之介の足跡も辿れます。

写真左は、東急ステイ青山プレミアのロビーから見える青山霊園。青山斎場は樹木に囲まれ見えません。その先、赤坂アークヒルズ、東京ミッドタウン、東京タワーと続きますが、90年前は、この辺り一面が樹木におおわれていたのではないでしょうか。

いちょう祭りの帰り道、1920年代、大正から昭和初期の青山南町に想いをはせてみてはいかがでしょう。

Text by T.Minobe

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